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zoom RSS 阪神大震災から12年・・・

<<   作成日時 : 2007/01/18 00:45   >>

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 早いです。

 今ほど情報網が普及していなかった12年前、神戸で何が起こっていたかもはっきりわからず、ちょうど今ぐらいの時間、大学2年生の自分は、(あろうことか)友人たちと酒飲みに言ってました。

 そして翌日(1/18)朝のニュースを見て、愕然としたのです。
 折れた高速道路、一日経っていたのに燃えつづけている住宅地、横倒しになったビル・・・自分たちは地震もなにも感じていなかった時間に大変なことが起こっていた事を知りました。
 大学の同級生に神戸出身のヤツがいました。後から知ったのですが、彼はペットボトルをたくさん台車に乗せ、歩いて神戸へ戻ったそうです・・・。


 医療従事者が記録した阪神大震災を見ると・・・・・
現地の病院は「野戦病院」と化しトリアージ(※)を実施せざるを得ず、まだ体にぬくもりが残る人たちに次々と「死」を宣告しなければならなかった・・・ガレキの中からやっと助け出し、病院へ担ぎ込んだら、今度は挫滅症候群(※)で亡くなっていった・・・医薬品が、物品が足りない・・・自宅で被災、身内が死んだのに病院へ直ちに向かい、被災者の救命にあたる・・・想像を絶する状況だったことでしょう。
(※トリアージ:選別。どの患者から治療するかという治療の優先順位のこと。災害医療での治療優先順序の選別。)
(※挫滅症候群:広範囲にわたる筋組織の損傷により引き起こされる症候群。初期にはショック症状があり、急速に腎機能が悪化する。クラッシュ-シンドローム。)


 私自身はすぐにでも神戸へ(何ができるかわからないけど)何かしにいかないといかん、とそのとき思ったのですが諸事情があってすぐにはいけず、結局4月に行ってきました。

 これは「愛知県高校生フェスティバル(http://www.ask-net.jp/high-fes/41/)」の高校生たち(後輩たち)と共に、彼らの先輩役という形で神戸へ行きました(ボランティアで、引率の先生方と共に集団での参加でした)。震災後約3ヶ月経ち、現地では車も走り、地下鉄も一部復旧し、所々で日常を取り戻しつつありましたが、まだ倒れたままの家やブルーシートがかかったままの家があちこちにあり、そして自分が行ったところは、小学校で避難生活をしている方が多いところでした。

 そこでの炊き出しや子ども達と遊んだり、倒壊しかかった家の中の家財道具の運び出しをしたり、いろいろと行ないました。
 子ども達は「抱きつき」「ぶつかり合い」をしてくる子がほとんどでした。これも後から知ったのですが、ひどい災害にあったあとの子供には、そうゆう行動をとる子が多いとのことでした。

 宿泊場所に利用した学校とは別の学校へ活動しにいく事になり、十数人の高校生を任され向かった先でのことです。自分たちが一方的に活動するだけでは避難生活をしている方々にとって本当にためにはならないと思い、高校生たちに意見を聞いたら「みんなで利用できる「炊事場」をつくろう」ということになり、小学校のグラウンドにある<登り棒>の部分を利用し、ブルーシートを3重にかけ、ベニヤ板をのせてつくりはじめました。
 すると最初は校舎から見ているだけだった方々の中から、何人かオジさんが突然降りてきて、「それ貸せや、ワシがやったる」と金槌を手にとり、いとも簡単に打ち付けをしてくれたことがありました。彼らは元大工だったのです。我々が高いところで、危なっかしくやっていたのをみて助けてくれたのでした。

 あのときのオジさんや、子供たち・・・住所交換をしたわけではないので、連絡先もわかりませんが、みんな元気だろうか・・・?  毎年この時期になると、本当に胸が痛みます。

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